FC2ブログ
ユニップ・フォトログ
Environmental Design Works
プロフィール

unip design

Author:unip design

↑Please visit our website!

ユニップデザインとは住宅や店舗、オフィスビルなどの建築設計・インテリアデザインをメインに活動している一級建築士事務所です。また、ツリーハウスの設計施工も行っています。

このブログはそんなユニップデザインのスタッフが物件紹介や世の中に溢れるモノ・コトを、実体験をもとに紹介していきます。



最近の記事



カテゴリー



リンク



FC2カウンター

 since 18 jan 2006



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Mode #5 長谷川等伯の唯一無二
20070108142219.jpg 20070108142157.jpg

この正月、国宝「松林図屏風
(等伯56歳:1594年頃作、東京国立博物館、1月28日まで)公開へお参りをした。

今の季節は松だし、以前能登半島の珠洲に住んでいたせいで、
松林図は、能登にある防風松林の冬景色を思い出させてくれる。

この「松林図屏風」、昨年も正月公開だったので、
今後はMOA美術館にて毎年2月に公開する国宝「紅白梅図屏風」尾形光琳作のように、
同じく毎年恒例にして、
「”東博”にある等伯の松林図見なけりゃ正月迎えた気にならねぇ」
と江戸情緒の再興をしてはどうでしょうか?
「美しい日本」を目指す安倍総理殿!

さて、松林図は謎多き絵で依頼者が誰なのか、
本当に屏風のために作られたのかが不明で、
等伯自身も含め他に同様な画風の絵が見当たらない。

そこでunip的に謎解きをしてみた。

まず、等伯が松林図を描く前の状況を
「山水思想もうひとつの日本」
(松岡正剛著五月書房刊)
と数多のネット情報から引いてみると・・・。

当時、業界には最大にして最強ブランドである狩野派(永徳)がいた。
その頃の狩野派のアイデアの中で、等伯が「やられた~」と思ったものがふたつある。

ひとつは、1588年秀吉亡母のために建立した天瑞寺客殿障壁画の題材のひとつに
桜が採用されたことである。
松竹梅が当たり前と考えられた時代に、
とうの昔(大和絵主流の時代)の流行である桜をリバイバルさせたのである。

もうひとつは、1591年南禅寺大方丈において、
画面中央に巨大な松が占める画風により
「意匠という様式」を確立したこと。
その上心情面では、ライバル永徳が1590年に没し、
等伯の理解者(アートディレクター)である千利休が1591年自刃。
そのうえ1592年跡継ぎと期待されていた息子の久蔵との別れがあった。

ここからは僕の想像物語が半分?加わります。
当時、等伯はどんな手を使ってでも永徳越えを叶えたかった。
理解者利休は、絵画においても「利休好み」を完成させ、
すべての芸術において町衆文化を武家文化に対抗させたかった。
そんな両者の思惑が重なり密かに松林図計画が始まった。

アイデアは、利休が選んだ渡来茶碗と楽茶碗の扱いと似ている。
・1589年旧三玄院襖絵にて雲母摺の桐花紋地を雪に見立てた絵のように
「聞こえず見える音」をだす。
・昔(室町時代)に流行った中国南宋画家の牧谿の「味」をリバイバル。
・宗教や権威を感じさせないように日常の景色に見えること。
場所は、大徳寺のどこかの襖にする予定で、時の権力者秀吉に言いがかりをつけられた際、
逃げの理屈が通るよう上記のアイデアを含め考えられたのではないだろうか。
そう、ショスタコービッチが交響曲に、ダビンチが絵画に潜ませたように。

残念ながら利休自刃後、等伯含む関係者は保身のために松林図を隠してしまい、
等伯の永徳超えもおジャン。
もし利休が延命していたならば、
松林図に利休のお墨付がもらえ名実共に等伯の永徳超えが叶っただろう。
ただ、千家の所有として、そう簡単には見れない代物になったかもしれない。

しかし、時代は等伯にチャンスを与えた。
2000年にNHKが行った「日本の美アンケート」第1位にこの松林図が選ばれ、
等伯の念願が400年後に叶った。
不謹慎ではあるが、我々も秀吉のおかげで至宝を見ることができるので、
ココロあるデザイナー達よ!東博へ急ぐべし。

(okamura)

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。